8年前、母が突然倒れた。
半年近くの入院生活を経て、ようやく退院。
幸い体の方には麻痺などは残らなかったが、失語症という言語の障害が残った。
退院後も言語のリハビリを続けていたが、人と上手く会話できない為か、
どうしても家に閉じこもりがちになってしまった。
リハビリに通い始めた頃からだと思うのだが、父が仕事の関係で帰りが遅くなる
ことが多かったので、少しでも話相手になろうと思い、夕方近くになると毎日実家に
電話をかけるようになった。
着信の音で誰からの電話かを分かっている母は、「もしもし」と少し間延びした感じで
電話に出る。この「もしもし」の口調でその日の母の機嫌がすぐに分かるのだ。
機嫌が良い時はその日の出来事を順を追って、言葉を一生懸命に思い出しながら
話してくれる。
逆に不機嫌な時はそっけない会話だけですぐに終わってしまう。
それでも最後は必ず「ありがとう」と言って母は電話を切る。
何日か電話をしない時があると、母の方から電話があり「仕事、忙しいんだ?」
と心配される。
月日が経つにつれ、なかなか結婚しない息子を心配してか「誰かいい人いないの?」
なんて余計なこともたまに言うようになってきた。
あれから8年。
心配をかけた息子も今年の春に無事に結婚。
母はとても喜んでくれていた。
これから親孝行をしなきゃいけないのに、この夏、母は突然天国へ逝ってしまった。
最後の電話は花火の翌日、機嫌が悪い時のお決まりの内容だった。
「次行った時に考えるよ、また電話する」
そっけない言い方で最後の会話を終えてしまったことが、悔やまれてならない。
「お母さん、ありがとう」
この言葉が母に届くことを今は切に願うのだ。